前回の続き。30年以上前の話です。
さて、私が当時行きたいと思った都立高校は学区の縛りで受験できず、通学時間などから仕方なく選んだ学区トップ校は6割浪人で予備校必須の現実。
そこで私はお金がないからと都立に行かせたがっていた親を説得しました。
私はどうしても大学に行きたい、現役で大学に行ける高校に行きたい、塾や予備校には行かないので、私立に行かせてください。
ということで都立には出願したものの、第一志望だった大学附属の私立高校の合格が判明した時点で、バイトすることを条件にそこに進学することが許されました。
実際、塾にも予備校にも行くことなく、高3まで部活とバイトを両立しながら大学へ内部進学できたので、当時の私にとってこの選択は正しかったと思います。当時は修学旅行も海外とかじゃなかったから私立でも何とかなったのかも。
(ただ、ウチと同じく公営住宅に住んでいた中学の同級生が当時の学区3番手都立高から指定校推薦で同じ大学に進学したので、コスパを考えたらそっちの方が絶対に良かったと思います。中学生だった当時は指定校推薦のこととかよく知らなかったし、親も中卒&高卒なので大学進学の情報とかまったく持ってなかった…)
ちなみに学区制導入前(1981年まで)の都立高校は学校群制という、受験後進学先がどの学校に振り分けられるかわからないというさらにひどい制度だったということで、東京の私立志向や中学受験率が高くなった理由はこの時代まで遡るようです。
学校群制度(がっこうぐんせいど)とは入試実施方法の一つである。高校入試で学校間の格差をなくすために、いくつかの学校で「群れ」を作り、その中で学力が平均になるように合格者を振り分ける方法である。
学校群制が導入された1967年から学区制が廃止された2003年の間の実に36年間は、都内の中学生には限られた範囲でしか都立高校を選べなかったわけですね。
2003年以降は石原前都知事の都立高改革で学区制度がなくなったり、大学進学の指導をするようになって進学実績も良くなったりで都立高校もだいぶ変わりましたから、ホント氷河期世代っていつも貧乏クジだよなあ…と思います。
あと中受漫画の『二月の勝者』では佐倉ちゃんの母校が中高一貫校に姿を変えていましたが、もれなく私が出願した都立高校も今は中高一貫校となり、高校募集を停止してしまいました。
そう考えると純粋に都内のどこでも「行きたい都立高校」が選べて受験が出来た世代(学区全廃後の2003年~中高一貫高校募集停止の2021年)というのは都立高校の長い歴史の中で見るとラッキーな世代だったのかもしれません。
今はまた、都民への私立高校の授業料補助があったりで都立高校の人気が下がってきているみたいですが、今後都立高校はどうなっていくのでしょうか。
個人的には2022年から都立高校入試に導入されたスピーキングテスト、問題点だらけのようなのであれはどうなの?と思いますが…都立高受験組の皆様、どうですか?
まあそんなわけで、都立高校に進学しなかった私のその後。
中学時代はそれなりの内申が取れていて都立だったらどこでも出願できるくらいそこそこ優等生だったんですが、高校入学後割とすぐ深海魚になり、忘れ物をしては別のクラスの友達に借りに行き、スカートは折りまくりどこまでがバレないのかギリギリを攻めながら髪を染め、ピアスを開けてそれを絆創膏で隠す(今思い返すとダサい)、という成績だけでなく学校生活においても優等生とは程遠い適当女子高生になりました。別に体制への反抗心とかじゃなくてただお洒落したかっただけなんです。(当時はまだコギャル黎明期だったので周りも自分もそこまで派手じゃなかった)
本当はバイトもダメだったんじゃないかなあ。でもクラスの半分くらいは何らかのバイトしてたような気がする…
ルーズソックスも履いてました。これもダメだったんだろうけどみんな履いてた
なおどうしても大学に内部進学したかったので、深海からは高2でなんとか浮上できました。勉強は全部優秀な友達に教えてもらいました…あの時の友達ありがとう。
今の高校受験はまた昔と大分違うんですよね。ウチも内申取れる子だったらアリだったかもしれません。公立中は発達障害への支援も普通にあるしね…