『一億総中流』という言葉が産まれた昭和の時代に、わりと底辺と呼ばれる世帯に産まれた自分。
物心ついたころに家族4人で住んでいた家は木造アパートの1階で、隣は同じ間取りで大学生の一人暮らし。その後何度か引っ越して、親と一緒に住んだ最後の棲家は毎日のようにどこかから怒鳴り声が響いてる、変な人がいっぱい住んでた公営住宅。
小学生の頃には「うちは貧乏」「普通の家ではない」というのを認識していました。
(まあ金銭的な困難に加え機能不全家族だったのでむしろそちらの方が問題でしたが)
そんな私が目指したのは金銭面だけでも『人並みの幸せ』を手に入れること。
定期的に決まった収入があって、電気もガスも水道も止められず、食べるものに困らないというのは最低限。私立の学校に行くためにはバイトの掛け持ちだって必須だったけれど、周りを見れば家はマイホームだし、海外旅行もして、大学にもブランドのバッグで通学してるという格差をひしひしと感じて、「人は人、自分は自分」なんて思えず比べてばかり。
その後、バイトしまくりからの大卒、大手企業への就職で私の思う『人並みの幸せ』は叶いました。
自分の稼いだお金で海外旅行もして、ブランドバッグもいくつか買って満足。古いけどマンションで一人暮らしも出来て、そのうちマイホームも手に入れて(これは夫と協力してでもあるのだけれど)。
今は(老後資金とかは置いといて)金銭的な困難からは自由になった生活に。
普通の生活を手に入れるためには自分が努力するしかない。
私の考え方には、多分こういうハングリー精神が根底に流れてました。
さて、先日の鎌倉旅行で、息子が「自分が将来どうなりたいか」を話してくれたんですが…
大人になれば自宅を出てひとりで生きていけるようちゃんと自立を考えているけれど、住むところはある程度清潔であれば便利でも広くなくても構わない、食費は元々あんまり食べないしかけるつもりはない(もやし大好きだしね)、だからその分が稼げるだけの仕事に就けたら十分、というなんだかいかにもZ世代っぽい将来像でしてね。
確かに。
新しい文化を知りたいとかみたいな好奇心がないから、海外旅行も好きじゃない。
私服も現在2セットで回してるくらい、欲しがらない。
幼児の頃は「パパみたいなパパになりたい」と言っていたけれど、今は結婚して家庭を持ちたいわけじゃない。
無欲。
今彼が欲しがるものと言ったら推し活グッズくらい。
…そうか。
Z世代っていうのもあるかもしれないけれど、息子はもう、私が息子ぐらいの年の時に喉から手が出るほど欲しかったものが既に与えられているしな。
共働きの元に産まれたひとりっ子の息子。
おもちゃはふんだんにあったし、欲しがる前から自室もあった。習い事もホイホイやらせて、本人が「私立中に行きたい」と言い出す前から日能研へ。
もう人生の前提から違うんだから、ハングリー精神なんて育つわけがないよね。
しかも、私がブラック企業で血尿出しながら働いて頭金貯めた(←大袈裟)持ち家だって相続できちゃうんだから、人生余裕のよっちゃんよ。
お金のかかる趣味がなくて、都内に家買ったり、車買ったり、家族を持って養ったりしないんだったら本当に最低限で大丈夫なのかも。
それで、清潔なところに住めるかどうかはわからないけれど、最終手段としては生活保護だってあるんだから、無欲な人は頑張らなくても生きていけるもんね…
昭和生まれの貧乏人が、Z世代の与えられし者の幸せを測ることなんて出来ないんだわ。
息子の将来観を聞いて、なんか将来どうとでもなるな、と投げやりでなくそう思えてしまったのでした。
ただFラン大に進学したいと言われたらまだ多分躊躇してしまいそうなんだよなあ…どうしたものか。