N50発達障害男子の中学受験、からの中高一貫校生活

発達凸凹、高IQでも偏差値は50。2023年中受終了した男子の生態を綴るブログです。

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serial experiments lain(アニメ版) 感想

前回ゲーム版の感想を書きましたので、引き続き今週のお題「名作」に参加しつつ今回はアニメ版の感想を書いていきたいと思います。今回も長文です。

 

アニメは全13話、私はこのGW中にABEMA TVで一気見しました。DVDも出ているようです。

ゲームとはまた雰囲気が違う独特なコントラストと雰囲気の映像で、大分「間」の多いアニメです。私は1.5倍速で見てちょうどいい感じでした。(作品を最大限楽しむならこういう見方はあまり良くないですけど)

 

アニメの主人公もゲームと同じく岩倉玲音(レイン)でありキャラデザも同じなのですが、基本的にアニメとゲームは別物ということで「NAVIを利用してワイヤードに接続できる」という世界観以外のほぼ全ての設定や登場人物が異なっています。そして、アニメの方ではこのワイヤード社会(ネット社会)という点がより強調されています。

ゲームより鬱感は少なく物語としては難解で、ちょっとSF要素もあるように思います。

 

以下、アニメの内容を感想を交えながら書いていきます。

 

アニメ第1話の冒頭で、玲音と同じ学校の女子中学生、千砂が飛び降り自殺します。

学校ではこの自殺した千砂からメールが届くという怪現象が話題に。そのメールは玲音にも届き、玲音は千砂に興味を持ちます。

その後、玲音の周囲では不可解な自殺が起こるようになったり、またその幻覚を見たりするようになります。ゲームの玲音同様もともと幻聴などはあったようですが、それについて悩んだり家族に相談している様子は見られません。

なおアニメの玲音にも家族はおり、ゲームにはいなかった姉が存在しています。ただ、父以外の家族は玲音に無関心であり、食事の時間も会話がありません。ちょっと異常な雰囲気です。

父はNAVIマニアなのか自室に無数のNAVIを接続しており、玲音にも最新式のNAVIを買い与えます。何者かによりNAVIのレアパーツ的なもの(?)を靴箱に入れられていた玲音はそれをきっかけに自分のNAVIを改造していくことに。

 

アニメの玲音ちゃんもおとなしい感じの少女ですが、ゲームの玲音との一番の違いは友達がいること!いつも4人組で行動しているのですが、中でもアリスという子は他の二人よりも内気な玲音をいつも気にかけています。そしてスマホのような携帯NAVI端末でアリスとメールをしていたりと、アニメはゲームよりもワイヤードがより生活に溶け込んでいる様子がわかりやすいです。

 

さて、そんな玲音がまだNAVI改造にのめり込む前に友人に誘われ初めて訪れたクラブ(中学生でクラブ!)では既にちょっと雰囲気の違う玲音が目撃されていたり、そこで出会った小学生に「レインとはワイヤードで会ったことがある」と言われたり、その他にも玲音には腑に落ちない事象がたくさん発生します。

日記という形で自分の心境を吐露していたゲームの玲音と違い、アニメの玲音の心の内はあまり語られないので、視聴者はその行動を見ることでしか玲音を知り得ません。どうやら各所で目撃されている玲音は、我々が見ているこの内気な玲音ちゃんとはどうも違う人みたい…?

 

果たしてこれらの玲音の正体は…

 

アニメの玲音は両親の間に生まれた人間ではなく、ワイヤード上に遍在する集合的無意識そのものでした。

(何を言っているんだ?と思いますよね。私もそう思います。これは後に改めて詳しく書きたいと思います)

まあその集合的無意識をリアルワールドに「実体のある存在」として誕生させられ、玲音本人も知らないうちにリアルワールドとワイヤードの境界をなくすためのツールとなっていた、ということが明らかになります。

 

さて、この玲音をリアルワールドに誕生させたのは誰だったのか?

 

それは自称「神様」でした。

この神様は英利という元人間です。しかし、ゲームのレイン同様肉体を捨てワイヤード上の存在になり、自らの理想というか野望というか、そういうものを実現するためにワイヤード上で神になろうと画策し、一部から実際に神と信奉されるようになりました。実は冒頭で自殺した千砂の目的もワイヤード上に存在を移すためであり、その際に「ここには神様がいる」と言っていました。

そしてワイヤード上に遍在する玲音(レイン、lain)に気づいた英利はこの存在を利用してワイヤードをリアルワールドの上位階層に位置付けようとします。英利が研究員だった時に発表した仮説が「地球上の人間は全てデバイスすらも必要なく、ワイヤレスネットワーク上に無意識化に配置される」というものでした。(どういうことかと言うと、NAVIを使ったりしなくてもいつでも誰とでも繋がれる世界にしたらいいよね!それには肉体なんか邪魔だよね!ということです。それまでに英利が耳にした学術の中に、ワイヤード的なネットシステムは人の脳の回路とおんなじだよね!という理論があったため、この考えに行きついたと思われます)

 

しかし玲音はこの英利の思想に反発します。

英利と玲音は対決することになりますが、まさにその直前、玲音は親友アリスのレインに対する行動により人間が肉体を持つべき理由を確信していました。そしてその親友アリスを精神崩壊から守るために、全てをリセットして自分の存在をリアルワールドからもワイヤード上からも消してしまうのです。

 

「記憶」は「記録」とこの作品でアニメでもゲームでも玲音は示唆します。

「記録」を消去してしまえば「存在」自体も消えてしまう。

玲音は全ての人から玲音の「記録」を削除してしまいました。

しかしラストシーン、年月を経て大人になったアリスは歩道橋に佇む玲音を見かけ、ちょっと思い悩んでから以前どこかで会ったことがあるよね?と声を掛け…

 

という話でした。

 

 

いやいやいやいや、むっずかしい…!!

正直今もちゃんと理解できているのか謎な部分はありますが。

ラストを見てなんとなくですがまどマギを髣髴とさせるような気持になったのですが、それとはまた違う難解なストーリー。

ゲーム版をデカルト哲学とするなら、アニメ版はカント哲学で生きましょうという感じですかね。ここでまたぴよぴーよ速報さん貼っときます。

youtu.be

 

なおそう思ったのはあくまで私の感想です。解説・考察サイトを巡らないと理解が追いつかない。

そして、考察サイトを巡るうち、なっっっるほどー!!とさらにこの作品の魅力によりドはまりすることになりました。

 

次回、ゲーム版とアニメ版を総合してまとめます。

sasachizu.hatenablog.com