N50発達障害男子の中学受験、からの中高一貫校生活

発達凸凹、高IQでも偏差値は50。2023年中受終了した男子の生態を綴るブログです。

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映画『ルックバック』リピート感想

6月に試写会行ったんですが、もう一度見たくて家族を誘って行きました。

sasachizu.hatenablog.com

前回の記事にも書いたんですが、試写会ではボロ泣きしちゃったんで後半ちゃんと見れてないところがあったんですよ。

だから今回は泣かないようにウルっと来たらコーヒー飲んで落ち着こう、とコーヒー買って持ち込んだんですが…

ここぞという時に胸元にコーヒーこぼすっていうポカをやりまして。

隣に家族以外誰も座っていなかったのが幸いでしたがしばらくあたふたしてたおかげでウルっと泣かずにすみました…

 

で、後半ちゃんと見ることができて改めて気づいたこと。

 

『シャークキック』が思いの外チェンソーマンそのものでした。

 

藤野と京本の進む道が分かれてからの描写については、原作から映画化するにあたりすごく押山監督が膨らませていて、特に読者アンケートランキングの描写とかが入ったのはとても良いなあと思っていたのですが、巻数が増えていくシャークキック単行本の表紙が思いっきりチェンソーマンのデザインで。

そして、藤野が京本の部屋の前に積み上げられていたジャンプ(?)を手に取って、白紙の4コマ用紙が挟まっているのに気づくシーン。

4コマ用紙が挟まっていたそのページが、まんまレぜ編のこのページのオマージュ?だったのですよね。

 

いやあ、細かい!試写会の時は全然気づけなかった!溢れ出す押山監督の藤本タツキリスペクトがすごい。(原作のルックバックではそこまで描き込まれていない)

そしてよく「藤野と京本の二人が藤本タツキと重ねられている」という感想を見たりしたのですが、やっぱり藤野歩=藤本タツキなんだなと。

最初に原作を読んで、そして試写会で映画を最初に見た時は、これは藤野と京本の努力と友情と勝利の物語であり(途中までは)、そして根底にはお互いの嫉妬・憧憬・ライバル意識みたいなものが流れているのかなと思っていたんですが、よくよく考えると京本はずっと「藤野先生のファン」なだけなんですよね。葛藤みたいなものが描写されているのはあくまで藤野だけ。

ペンネームが『藤野キョウ』であっても二人は一緒に作品を作っている同志ではなくて、京本はあくまで『藤野先生』の『手伝い』。最後の最後に道を分かつ時も京本は「連載できない」ではなく「連載手伝えない」と言っているんです。

ああ、そういうことだったんだな、と。

そして藤野が原作にはなかった涙と鼻水を流しながら液タブでシャークキックを描いていたりトイレでズボンを下ろしたまま寝てしまっている描写など、締め切りに追われていっぱいいっぱいな実際の藤本タツキ先生の様子なのかな?と思いを馳せてみたりして。

 

ちなみに今回、試写会の時には販売していなかったパンフレットを購入しました。

特典のポストカードと。パンフの表紙の質感がなんとなく同人誌っぽい…

 

そしてパンフの押山監督と藤本先生の対談を熟読。

ネットであんなに奇行が話題になった藤本先生でさえ「絵より学業を頑張った方が、将来的には安定できる」という諦めの気持ちを持ったことがあるなんて。

で、対談ではこの後こう続くんです。

「小学校の頃から上手い人はいっぱいいましたが、彼らがなぜ絵を辞めたかというと、特に僕の住んでいた田舎では、絵に関する扱いの低さや、将来性のなさを思い知らされるんですよ。近くに絵画教室はないし、絵に関する仕事もない。この選択肢の狭さに対する諦めの感情を、どうにかしたい気持ちもあったと思います。」

なるほどね…才能に限界を感じて諦める、とかではなくて、環境によって諦めざるを得ない、というやるせなさか。映画の舞台にもなっている秋田県にかほ市で育つと確かにそうなるのかも。この気持ちはそういうところで育たないとわからないんだろうな。

 

私が幼少期を過ごした東京都練馬区には東映もあってアニメ関係者や漫画家さんがたくさん住んでいたし、その後何度か引っ越しをしましたが小学校時代の友達のお父さんが誰もがその作品を知る大御所漫画家だったり、高校時代の同級生にも複数作品がヒットしてメディア展開された漫画家がいて、漫画家というのは結構身近な職業だったのですよね。それもまた特殊な環境だったと思いますけど。(そして漫画家になるだけでなく作品をヒットさせることはすごく特別なことだと思っています!)

ただ今はもうネットでなんでも検索できる時代だし(実際ルックバックでも藤野はネットで絵が上手くなるための方法を調べて実践していた)、昔とはだいぶ格差がなくなってきているかもしれません。

でも多分、どこに住んでいても学業を頑張っていてもそういう才能がある人は最終的に自然とそっちに流れて生きていくような気がします。実際、同級生の子は大学附属だったにも関わらず内部進学せず美大受験していますし、阪大医学部卒の手塚治虫だって最終的には医師ではなく漫画家になっていますしね。

 

チェンソーマン愛読者としては藤本タツキ先生が筆を折らず、ジャンプ漫画家になってくれて良かったなあと思います。