N50発達障害男子の中学受験、からの中高一貫校生活

発達凸凹、高IQでも偏差値は50。2023年中受終了した男子の生態を綴るブログです。

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2024年第100回箱根駅伝感想

今回は中学受験にまったく関係なく、主に箱根駅伝関連の記事(というか感想)になります。ご興味のない方はせっかくご訪問いただいたのにすみません。

毎年、TV番組の中で一年で一番楽しみにすらしている箱根駅伝

 

 

1月2日朝7時、スタート前の番組見よう、今年は東農大が出るから久々に大手町の大根踊りも見られるかな♡なんて呑気に日テレをつけたら地震の被害状況を伝えるニュース。

 

…そうだった。

 

緊急地震速報は前日の1日、出先から帰宅途中の高速道路上で受信しました。

カーナビに映る津波警報。息子が生まれたばかりの頃の東日本大震災津波の映像を思い出す。

そして何より「受験が終わったらずっと我慢してた旅行に行こうね」と昨年の春に家族で旅行に行った先が能登~金沢でした。

とても楽しかった思い出の場所。今現在愛用している塗り箸を買った輪島の町があんなことに。当時撮った写真と見比べて心が痛む。あの時出会った皆様がどうかご無事でありますように。

 

そんな思いが胸を駆け巡る中、「協議の結果箱根駅伝は予定通り開催」とのアナウンス。

協議されたってことは中止の可能性もあったのかな。

 

そして、予定通り8時にレースはスタートしました。

 

往路が終わって取り急ぎの感想は昨日の記事に書きましたが、復路を終えて。

 

まずは青山学院、優勝おめでとうございます。正直今年の駒澤にはどこも勝てると思っていませんでした。しかも今回の青学の復路メンバーは全員箱根初出走。どれだけ層が厚いのか。駒澤はどこにも失敗要素などなかったと思うのに、これで勝てないなんて。

そして3位の城西大学。山の妖精山本選手が金栗四三杯を受賞し総合3位はすごい。一般入試で同好会スタートだったと言う山下りの久保出選手も箱根出走メンバー唯一の石川県出身と言うことで、勇気をもらえた方が多くいたかもしれません。

5位の國學院も今シーズンの各レースの結果から3位は狙えるのではないかと思っていたのですがそれを超えてきた4位東洋が意外な強さで驚き。

喪章をつけて走った法政大学も、往路結果からここまで上がってくると思いませんでした。背負っていたものが違うのかな。明治も復路順位だけ見たら悪くないのに往路なぜあんなことに…

あと個人的に早稲田の体制が古くてサングラスも最近まで許可されていなかったということに驚きました。駿河台大学の徳本監督は20年以上も前の法政選手時代に既にサングラスを着用していたというのに。

シード落ちした順天堂は、レース後の特集を見る限りオリンピアン三浦選手に背負わせすぎたのではないかなと感じました。2020年にスーパールーキーとして箱根予選会で日本人トップを叩きだした時から応援していたので、これからSUBARUでの活躍も期待しています。

 

そして今回、特筆したいのは中央と立教。

この2校が13位と14位で肩を並べるなんて思いもしませんでした。

 

16人中14人が風邪で不調だった中央、万全だったらどんな結果が待っていたのだろうと思わずにはいられませんが、兄の気持ちを背負って走った7区吉居駿恭選手、3分20秒で良いと言われながら襷を繋いだ8区阿部選手、そして自分の進退にまで言及した藤原監督の言葉に涙が出そうに…

感動をありがとうございました、秋の立川は応援するので!監督も絶対辞めないで欲しい!

そしてその中央に並びかけた立教。上野元監督があんなことをしてクビにならなければ、もっと上を目指せていたのかもしれません。おそらく来年にはシードも視界に入ってきたことでしょう。逆境の中、ここまで結果を出せた立教メンバーは本当に頑張ったと思います。この経験がきっとこれからのレースで生きるはず!

 

レース終了後しばらく魂が抜けたみたいな状態になっていましたが、その後流れた大八木名誉監督特集にほっこり。往路中継でも復路中継でも沿道の大八木名誉監督がカメラで抜かれてスロー再生されていたのバッチリ見ましたw

 

箱根駅伝が終わるともう正月も終わりだな…という気持ちですね。なんだかあっと言う間です。

 

以下余談。

以前所属していた会社でまだ駆け出しの営業だったころ、どうにもこうにもうまく行かない取引先への年始の挨拶に行った際、ポロっと話した箱根駅伝の話で実はそのお偉いさんと母校が同じだったことが判明し、それからレギュラーでお仕事がいただけるようになったことがありました。

中小企業同士の話ではありますが、本当にこういうことってあるんだな…と、母校を卒業していてよかったなと思った数少ない出来事のひとつでした。

私が箱根駅伝に熱中するのは、その思い出も理由の一つにあるのかもしれません。