3年生から4年生くらいにかけて
「言った」「言ってない」
「聞いた」「聞いてない」
のやりとりによるトラブルが、私と息子の間で多発するようになりました。
これは私が何か話しかけてもちゃんと聞いていないのに息子がうわの空で返事をすることに加え、息子の
『自分の思っていることは相手も思っていること』
といった認識になりがちな発達障害の傾向から、自分から伝えてもいないのに伝わっているといった間違った思い込みによって起きていました。
そして息子は超面倒くさい『察してチャン』でした。
小学校の通級では先生から
もしお腹が痛くてトイレに行きたかったら、辛そうな顔をしているだけでは何が辛いのか伝わりません。
「お腹が痛いのでトイレに行きたいです」と手を挙げて先生に言いましょう。
というように指導してもらい、どういう時はどういうことを言えばいいのか、低学年の時は絵カードにして通常級の机に貼ってもらっていました。
何事も、言葉にしないと伝わらないのです。
(しかしこういう伝えないといけない重要なことは言葉にしないくせに、自分の好きなYoutubeやゲームのことだけはペラペラペラペラまるでマシンガンのように話すんだよね)
その「伝える」トレーニングも高学年になるとだいぶ高度になって、
- 自分が過去に体験したことを、順序だてて相手がわかるような言葉を使って話す。
- 断片的な情報から、正しい情報を組み立てて言葉で説明する。
というようなことをゲーム仕立てでやっていたと思います。
授業参観で見た時に、これはかなり受験でも役に立つトレーニングなのではと思った記憶があります。
おかげで高学年の頃にはだいぶ「言った」「言ってない」が減ったような気がします。
実は5年生になる時も、6年生になる時も、通級を終了するかどうか悩みました。
なぜなら通級の時間は通常の学級の授業の時間を抜けて、上記のような個別対応を受ける形になるからです。
通級の曜日や時間の設定は極力実技科目ではない時間となり、そうすると主要科目の授業時間がみんなと比べて週2時間足りなくなる、授業に遅れが発生する懸念があったからでした。
息子本人が通級を続けたいという強い意志があり、通級の先生からもどうしても辞めたいということでなければ続けた方が良いというアドバイスもあり卒業まで継続しましたが、この通級が今となっては国語力の向上に繋がったと感じているので通級を続けたのは正解だったなと思います。
ちなみに息子はあんまり小説とか読まないタイプなので、読書での国語力はあまり鍛えられていなかったのではと思います。
「かいけつゾロリ」や「おしりたんてい」などの定番の児童書はよく買ってとせがまれて買ってはいましたが、入試問題頻出小説などはもう字が多くて無理でした。
高学年になってよく読んでいたのは「5分後に意外な結末」シリーズです。