前回の続き。
WISC-Ⅳで全ての結果を知り、数値の高さやその凹凸、学習障害まで併発していたこと、そして私の認識が全く間違っていたことに改めて大きなショックを受けました。
まずは幼少期に発達障害の可能性を指摘されてから今の今まで、息子の障害の程度は軽度、何ならグレーだと思っていたのです。
グレーどころか真っ黒だったのに。
なんでそう思っていたのか。ひとつひとつ思い返してみる。
まず最初、幼少期に自治体の相談会で「療育に繋がっているのなら医師の診断はいらないんじゃないの」と言われたのが一つ。
ここでうちの子は医療にかからなくても良い、服薬などしなくてもいい程度なのだと勝手に思ってしまったこと。
次に小学校入学の際の就学相談。
支援級など勧められることはなく希望するなら通級で、となったこと。普通級に通える程度=軽度、と認識してしまったこと。
そしてあれだけZ会の教材に拒否反応を示していたのに、低学年で受けた全国統一小学生テストでは偏差値50を超えていたし、新4年生での日能研の入塾テストをクリアして入塾できてしまったこと。
それらは障害の程度が軽度だったからというわけではなく、心理士さんが言う「凹の部分を突出した凸でカバー」していたから何とかなっているように見えていただけだったのです。
いや、見えていたのではなくもしかしたら私がそう自分に思い込ませていただけかもしれません。
このブログでは中学受験の話からスタートしているので幼少期のことは少ししか触れていませんが、赤ちゃんの時から本当に本当に育てづらい子だったのは事実なのです。
でも、学習障害もあったとしたらなんで日能研の授業について行けていたのだろう?いや、本当はついて行けてなかった?
今思えば入塾当初の動画授業なんか全然聞いていないようだったし。
息子に改めて聞いてみると
「授業の話はほとんど聞いてなかった、聞いてもわかんなかったし」
やっぱり!!
でも、それでなんで最下位クラスにならなかったんだろう?
「解き方とかは全部テキストを見て理解していた、テキストで読んだことは理解できた」
…そういうことだったの!?
毎回せっせと日能研に通わせてた意味よ
テキストだけあればよかったのでは…過去問も見てもらえなかったし…
なんと受験が終わってしまった今の今までそれがわからなかったとは。
ただの集中力がないだけの子だと思っていたのですが、我が子に対する理解が全く間違っていたことに愕然としました。
ちなみに暫く経ってから『wisc iv 差が大きい 40』で検索した際に出会ったこちらの記事が、もう本当に我が家とびっくりするくらい全く同じで。
こちらの方は6年生の秋に特性を知ることが出来て中受のターニングポイントになったようですが、息子もあと一年早くこの結果がわかっていたらなあ…
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